ナンパする勇気。

声をかけられて、ごはんに誘われる。連絡先を聞かれる。

草食系化が進む現代で、見知らぬ人に声をかけられる勇気は素直に認めたい。

 

いかに後悔しないで生きられるかが私の人生の永遠のテーマだったりするんだけど、

この人と話してみたいなと思った時点で人間的になにか惹かれるものがあったわけで、

例えばたまたま同じ電車に乗ってる人にそれを感じてしまって、実際に行動できる(=話しかける)人って、私は好ましいなと思う。

 

目の前に訪れたチャンスを逃さずに捕まえられる人なんだろうなと。

 

実際に私自身、電車で仲良くなって

いい意味で刺激を受ける出会いだったり

普段知り合えない仕事をしている人に出会えたり、

長い付き合いになってる人もいるので、

あの時話しかけてよかった、と今でも思う。

 

だけど。

 

巷でナンパしてる若者よ、

誘い方が下手過ぎるのではなかろうか。

 

警戒心の強い女性なら特に、

知らないから怖い、急に誘われると気持ち悪い、と拒絶してしまうと思うんだけど、

もう少し女心を勉強してからナンパしてみてほしいなと思った朝でした。

 

挨拶ができない生き物

挨拶ができない、返せない生き物は、人間の形をした違う生き物だと思っている。

 

コミュニケーションの基本ができないのは猿以下だとディスりたいわけではない。

 

人間に与えられた、「言語」を使えない時点で、人間とは言いがたい、ということである。

 

英語を学ぶとき、最初はアルファベットを学習するけど、その後は基本の挨拶から覚えていく。

 

挨拶から会話が始まるのに、会話のはじめ方も分からないなんてかわいそうだと思う。

 

しかしそれだけならまだかわいい方で、

挨拶を返せない生き物はもう絶望的だ。

コミュニケーションを拒絶している。

一人で生きているつもりなのだろう。

実に哀れである。

 

そうだ、変なところに行こう

例えばSMバーとか。

怪しいショーパブとか。

裏路地にあるワインバーとか。

 

大体変な人が集まってる。

 

そして話をしてみると、なかなかどうして、

社長さんとか投資家とか、すごい人たちがたくさんいるものだ。

(ちなみにいい歳した会社のお偉いさんみたいな人は意外と少ない。)

 

そういう人たちの話を聞くのはとてもおもしろくて勉強になる。

普段聞けない話が聞けるから。

変な人たちなのだ。

 

起業家に変な人が多いのか、変な人が起業するのかは分からないけど、

普通に生活していてそうそう出会える方々ではないなと思う。

 

変なところに行って

変な人たちと交流して

変な話をたくさん聞いて

変な繋がりがたくさんできたから、

 

私まで変になってしまって

会社をやめることにした。

 

友達とかによく「常識がない」ってバカにされるんだけど、変な人たちはむしろ肯定してくれる。

 

本当に変な人たちだと思う。

 

刺激が欲しいなら刺激的なところに行こうよ。

という話でした。

 

優良企業の時給

上場企業で大手、週休二日、残業代も出張手当もちゃんと出る、いわゆるホワイト企業を、

私はやめようとしている。

 

やめるにあたって生活費のことを考えた。

 

まずは今の給料から、どのくらい稼いだら同等の生活ができるかを算出した。

 

現在の収入を、手当諸々がついて23万円とする。

そこから年金やら積立やらなんとか費やらが引かれる。

 

完全週休二日として、平均してひと月22日間働いている。

残業無しで8時間、つまり176時間/月の労働時間である。

 

23万円÷176時間= 1,307円/時間

 

時給1300円のところで、平日のみ8時間労働したら同じ給料になるらしい。

 

さて、通勤時間は片道1.5時間かかっている。

いつもは自己研鑽の時間としているが、勤めていなければ発生しない時間である。

 

となると、会社のために使っている時間は一日当たり11時間にもなる。 242時間/月である。

 

23万円÷242時間= 950円/時間

 

なんということだろう。

 

こうやって考えると、

今まで少し心配していた、辺鄙なとこのカフェや、移動販売しているクレープ屋さんや、路上ライブしているアーティストなんかも、

意外と普通に生活できているのかも知れない。

 

もちろんボーナスは出ないけども。

 

小説のスピード感


「〜しとってん!」

『やば』

「やばない?!」

『やばいな』

 

括弧を入れて30文字ものやり取りが、

目の前を通り過ぎた今時の若い二人が乗った自転車から聞こえてきた。

わずか2秒。30文字が2秒。

 

会話に加えて、そのときの周囲の状況や彼らの心境を描写したら、100文字ではきかないだろう。

 

一般的な小説(文庫本)の1ページ当たりの文字数を、40文字×17行で680文字とする。

薄めの文庫本として、680文字×約200ページで136,000文字。

先の2秒の描写が100文字とすると、一冊当たりの時間は2720秒。

時間に換算しておよそ0.75時間、つまり45分である。

 

単純計算で45分しか描けないはずなのに、

映画化されると2時間半の長さになり、

ある小説は最初と最後で10年もの月日が経っていたりする。

 

実際の45分程度に起こる出来事など、数ページで済んでしまうのだ。

 

なんという速さだろう。

逆に言ったら、この世はなんてゆっくり流れているんだろう。

 

世界中の人々が小説並みのスピード感を持ったら、とんでもないことになるんじゃないかしら。

みたいなことを考えている帰りの電車の中。

鈍行に感じてしまう。

 

表出するということ

心の中のものを表し出すこと。

 

もやもやしたものを飼っている。

誰かに触れたとき、自然を感じたとき、人生を振り返ったとき、

行き詰まったとき、言葉にできない喜びを噛み締めているとき、

もやもやしたものが成長していく。

 

表現する術を持ち合わせていなかった。

 

 

ピアノを弾くのが好きだった。

楽譜を読むのは嫌いだった。

 

絵を描くのが好きだった。

美術の時間は嫌いだった。

 

決められたルールの上では途端にできなくなる。

 

そうしているうちに、

ピアノを弾かなくなった。

絵も描かなくなった。

誰も知らない今作った歌も歌わなくなった。

ありがちな定型的な感想文しか書かなくなった。

 

もやもやしたものが大きくなって

濃縮されて黒ずんでいった。

 

それは大人になったからだと、大人たちは言うだろうか。

 

 

この歳になって、コードを覚えた。

音が頭の中の泉から少しずつ湧き上がってくる感覚を久々に感じた。

 

表出する術を一つ身につけたらしい。

 

黒ずんだものでもいいから、

こうやって自分の中のものを少しずつ出していけたらいいと思う。